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明治時代の駄菓子

樋口一葉を知っていますか。5千円札に肖像が載っている明治の作家です。この一家が明治26年下谷龍泉寺町で駄菓子屋を始めました。誰でもできる子供相手のビジネスです。それが代表作『たけくらべ』の中の駄菓子屋「筆や」のモデルになっています。

どんなものが並んでいたでしょう。伊藤晴雨の『江戸と東京 風俗野史』を眺めて見ると全部ではありませんがほぼこんなものでしょう。

 塩釜、落雁、おこし、みじん棒、胡麻捻、肉桂、安カステラ、芋揚げ、
 ガラガラせんべい、芝翫糖、有平糖、薄荷糖、

 芋羊羹、板砂糖、金花糖、砂糖付きパン、豆板、五家宝、ボンボン、
 石衣、水飴、花林糖、金米糖、

 金花糖の魚や福助、金花糖のトビ口や剣、他に玩具が有ります。

※補足

塩釜 みじん粉、砂糖、塩、塩漬けの紫蘇の葉を合わせ押し固めてつくりる押
し物菓子。落雁風の和干菓子です。宮城県塩釜港附近で売り出されたことから発祥の地名を名乗っている。
落雁 穀粉(もち米、うるち米、大麦、大豆、小豆、そば、栗、そら豆など)に砂
糖と水あめなどを加えてよくもみまぜ、これを木型にはめて抜とり、炉に
入れて乾燥してつくる、打ち物菓子。
おこし もち米、うるち米、粟等の原料に豆類や胡麻を加え、水飴で固めて 成
型したもの。
胡麻捻 水飴を煮詰めて胡麻と混ぜて固めて切り、捻った飴菓子。 関東以北で
主に作られた駄菓子。
みじん棒 うるち米で作った「おこし」を水飴で固め木型でかたどり、細長く切断し、
 棒状に加工したもの。明治になってからのの駄菓子
五家宝 もち米を搗いて、細かく砕いて煎り、あられ状にしたものをて蜜とからめ
て「おこし」にする。それをきな粉と蜜を合わせた表皮で包んだもの。
石衣 固めに練ったこしあんに、さらに固めの白砂糖の蜜で覆った菓子。関西
では松露として知られる。
花林糖 小麦粉に砂糖を加え油で揚げ、外側に煮とかした黒砂糖または白砂糖
かけたもの。
有平糖 砂糖、水あめ、煮詰めたあめで作ったお菓子。「アルヘイ」の音はポルト
ガル語のアルフェロア(砂糖菓子)からきている。
金花糖 有平糖の一種で白砂糖を練って型に入れて焼き、色付けしたお菓子で
魚や果物など種々の形に作った中空の砂糖菓子。

明治の駄菓子は何処に

スーパーマーケット、デパート、専門店の昔の菓子、名産品売り場、駄菓子コーナで販売されています。他に郷土駄菓子として地方名産品になって、販売され、土産品になった駄菓子もあります。大阪名物『粟おこし』など

昭和25年施行の法律と共に衛生思想が普及してきたこと。それと共に包装資材の進歩も大きいでしょう。かくして、江戸、明治大正、昭和前期にあった不衛生、不潔なもの、粗末なもの、駄菓子が引きずっていたこのようなイメージは無くなっていきます。

デパートで販売する駄菓子はもはや子供のものではなく、昔の子供に販売する駄菓子なのです。価格も安くある必要は無く、衛生的できれいに包装され昔を懐かしむ方の駄菓子として存在しています。

このような駄菓子は今日の駄菓子とかなり異なり、特別なものになりました。今では郷土駄菓子とか、明治時代の駄菓子と呼ぶのが一般的です。とにかく、今の子供たちは駄菓子と思わないでしょう。

次は昭和の駄菓子をご覧下さい。
2007.4.28 補足

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