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駄菓子のきた道をふり返る

 私たちが駄菓子とイメージするものは昭和20年以後に生産され、販売されてきたもので
案外と歴史の新しいものです。 しかしそのルーツ江戸時代にさかのぼります。そう一文
菓子、安価な価格で購えるお菓子です。それ以前の文献に駄菓子の記述はありません。

 江戸時代は鎖国の影響で西洋の菓子の影響が無く、今の時代まで販売されているものは
限られています。 カリン糖、せんべいの類は子供たちの支持がなく駄菓子から離れ、コンペい糖、ボーロ(乳ボーロ・ミルクボーロなど)、 飴菓子くらいでしょうか。 コンペイ糖、ボーロのルーツは室町時代〜安土桃山時代に宣教師が持ち込んだ南蛮菓子の種類です。

 江戸時代を受け継いだ明治時代に西洋の菓子が入ってきましたが、日本人の嗜好に合うように熟成され、駄菓子として完成されるのは、まだ先のことです。

【明治時代の駄菓子】

 五千円札の肖像画にも描かれている明治時代の作家樋口一葉は、明治26年下谷龍泉寺町で駄菓子屋を始めました。誰でもできる子供相手のビジネスです。 それが代表作【たけくらぺ】の中の駄菓子屋「筆や」のモデルになっています。お店ではどのようなものが売られていたのでしょう。

 伊藤晴雨の【江戸と東京 風俗野史】を眺めて見ると全部ではありませんがほぼこんなものでしょう。 塩釜、落雁、おこし、みじん棒、胡麻捻、肉桂、 安カステラ、芋揚げ、ガラガラせんべい、芝翫糖、有平糖、薄荷糖、芋羊羹、板砂糖、金花糖、砂糖付きパン、豆板、五家宝、ボンボン、石衣、水飴、 花林糖、金米糖。

 このような駄菓子は今日の駄菓子とかなり異なり、特殊なものになりました。今では郷土駄菓子とか、明治時代の駄菓子と呼ぶのが一般的で、スーパーや デパート、専門店の昔の菓子、名産品売り場で販売されています。

【昭和時代の駄菓子】

 昭和の駄菓子は戦後大きく移り変わりました。水飴と砂糖の統制撤廃、昭和24年12月には、キャラメルが自由販売になリます。するとたちまち200社も 零細な業者が誕生します。この中で一時代を創ったのが岡山のカバヤと東京の紅梅キャラメルです。キャラメルの時代の
到来です。昭和21年発売のカバヤキャラメルは、封入されている、絵入り点数カードを50点分集めるとカバヤ文庫一冊がもらえ、本が欲しくても中々 買ってもらえない子どもたちの心をひきつけます。

 昭和26年発売の紅梅キャラメルは関東地域の販売です。オマケの野球カードで人気に火がつきました。カードを集めるとグローブやバット、野球帽などが もらえるのですから比較的高い年齢層の子供たちが中心です。しかし、カード集めは窃盗や万引き事件の社会問題を引き起こしたため、昭和29年には下火となりました。
代わって、昭和30年代から駄菓子の発展期を迎えます。昭和22年から二四年にかけての第一次ベビーブーム、団塊の世代が小学生になる時期の30年代には、 800万人の駄菓子需要が創り出されたのです。

 昭和24年島田製菓「ラムネ菓子」、昭和26年丸川製某「風船ガム」、昭和27年大和製菓(後のオリオン)「ココアシガレット」、昭和28年コリス「当たり籤ガム」、 昭和30年ナマイ商店「棒キナコ飴」、昭和34年松田食品「ベビーラーメン」、東産「ライスチョコ」、昭和35年コリス「フエガム」、昭和36年松山製菓「粉末ジュース」 、明治「マーブルチョコ」、昭和37年松尾製菓「チロルチョコ」、見田製菓「きびだんご」、昭和38年カタダイ「クッビーラムネ」、昭和39年三立製菓「チョコバット」、 昭和40年オリオン「コーラシガレット」、森永「チョコボール」昭和42年フルタ製菓「ハイエイト」、昭和44年美濃金製菓「花串カステーラ」昭和54年オリオン 「ミニコーラ」昭和55年やおきん「うまい棒」…などなど、毎年新しい商品が発売されてヒットしました。

 零細な手仕事で作られていた駄菓子は、工場制手工業となり、そして工場制機械工業に変換します。この時代に創り出きれた駄菓子が、今日の駄菓子の代表に 育っていきます。

【現代の駄菓子事情】

 お菓子は時代とともに変化します。その遠因は、購買層の変化と変容です。駄菓子もその影響を受け、時代に合わせて変わっできました。団塊世代が小学生になる 前後から販売量が増えると共に、駄菓子メーカーもマニュファクチュアから工場制機械工業に成長するのです。そして、東南アジアを中心に輸出するようにもなりました。
 
 ところが近年の少子化の影響を受け、販売量の減少傾向が続いています。その影響で近隣の駄菓子屋の経営が成り立たなくなって廃業するようになり、さらに、卸問屋、 製造メーカーの倒産も多くなりました。 そこで、メーカーはコンビニエンス・ストアやスーパーマーケットでも販売できるように、バーコードを付けたり、パック入りにして販売単価を上げるエ夫をしています。 駄菓子も駄菓子屋さんで買うものから、レジを通して買う時代になってきました。
現在の駄菓子はコンビニやスーパーマーケットの取り扱いがないと成り立ち難くなって いるのです。

 また、食料の大部分を海外に頼っている日本は、国際情勢、特に、為替、原油、原材料価格の影響を受けやすく。穀物価格、植物油原料、包装資材、物流費 など様々なコスト要因があります。価格の設定は自由にできるものの、値上げ自体が購買者の商品離れを引き起こしかねない状況では、販売価格を抑えるべく、内容量を 少なくするなど、各メーカーでは工夫していますが、採算が合わなくなるものもあり、メーカーも苦慮しております。

 駄菓子の安全については、食品衛生法(飲食によって生ずる危害の発生を防止を目的とする)が昭和23年施行されています。輸入の菓子、例えば、中国産の駄菓子で あろうとも国内においては、この法律が適用されます。
 安価な菓子ではありますが、安くても 安全やアイデアの詰まった駄菓子。さまざまな問題をクリアしながら、これからも多くの方に夢と楽しみを提供して行くものと 思います。

                                                2009.6.15 記載

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